木川欣宏
PIGNETO 料理長
フォーシーズンズにおける職歴
- 2020年より、フォーシーズンズホテル東京大手町
職歴
- ハインツ・ベック(東京)
- 中之島LOVE CENTRAL(大阪)
- ラ・ソラシド フードリレーションレストラン(東京)
- シャングリ・ラ ホテル 東京、ピャチェーレ(東京)
- ヴィラ ラ ヴェデッタ フィレンツェ、リストランテ(イタリア、フィレンツェ)
- リストランテ アイーモ エ ナディア(イタリア、ミラノ)
- ロカンダ ドン セラフィーノ (イタリア、シチリア)
- リストランテ リヴァ デリ エトゥルスキ(東京)
出身地
- 東京都八王子市
学歴
- 東京調理製菓専門学校、高度調理技術科(西洋料理)修了、調理師免許取得
語学
- 日本語、イタリア語
何年にも渡ってさまざまなイタリアンレストランの厨房で、そしてミシュランスターに輝くシェフの下で腕を磨いてきた木川欣宏。彼が料理長としてPIGNETO(ピニェート)にもたらすものとは、料理についての深い知識と技です。「私のPIGNETOに対するビジョンとは、『イタリア料理のミュージアム(a museo di cucina Italiana)』です。温かくて打ち解けた雰囲気のPIGNETOに訪れるお客さまには、イタリアの街角やピアッツァ(広場)に面したレストランにあるようなイタリア伝統のメニューの数々をお愉しみいただきたいと思っています」。木川が率いるチームは、例えば、300年前に遡るレシピのシシリアンチョコレートやアーモンドの木で香ばしく焼き上げたパンなど、現地でもその原点を明確にすることのできないような、長く受け継がれてきたレシピを再現しています。
木川の食の感性は、幼少からの自然とのふれあいによって育まれました。「新鮮な食材と心遣いから生まれる飾り気のない料理に、究極の洗練を感じます」。生まれ育った東京郊外の八王子は、新鮮な農産物がふんだんに手に入る、美しく静寂な山や川、滝に囲まれたところでした。シェフという仕事に興味を持つきっかけとなったのは、高校を卒業する前、大人気を博したテレビ番組『料理の鉄人』でした。
そして19歳の夏休みにイタリアを訪れた木川は、最初に口にしたそのひとくちでイタリア料理の虜になりました。「どこにでもありそうなレストランのシンプルなラザニアでさえ、グルメを感じました」。そして、各地方でその特徴がはっきりと分かれるイタリアの地方料理に魅了された木川。イタリアの旅が終わり帰国する頃には、自らのソウルフードを見つけたと確信したのです。西洋料理を学んだ東京調理製菓専門学校を卒業すると、日本各地のイタリアンレストランでキャリアを積みました。そして 2005年、シチリアに渡ります。ここで木川は、パスタやアンティパストづくりの技、そして120年もの歴史を誇る製菓技術をマスターしました。
イタリア語を身につけるにつれて、木川は、イタリア料理のそれまで知らなかった奥深さを理解するようになりました。「イタリアでは、料理と文化、そして歴史が深く密接な関係を持ち、お互いに強い影響をもたらしているのです」。その後、木川は、ミラノ、モンツァ、フィレンツェにあるミシュランスターのシェフが率いる厨房で技を磨き、帰国後は、東京にできるラグジュアリーホテルのイタリアンレストランのオープニングスタッフを務めます。最近では、受賞歴のあるシェフが経営するファインダイニングのレストランでスーシェフとして活躍していました。
PIGNETOで木川が目指すのは、「東京の都心にいながらにして、お客さまがイタリアに旅した気分になる食体験」を提供することです。PIGNETOのメニューづくりは、各食材の生産地・生産者の匠の技、レシピの持つ文化的な背景への思いなどに加え、よりテクニカルな側面である栄養的な要素や塩分・砂糖の配分など、細部にまでこだわったものとなっています。また、ファッション、アート、建築と、木川は、自らを取り巻くさまざまなフォルムや色彩から、料理をつくるためのインスピレーションを得ています。
休暇の楽しみは、妻や仲間のシェフと外食すること、と言う木川が最も好むのは、「和食の原点」でもある、ごはん料理と日本酒。そして、未知なる宝石を求めて常に食事処を探求している木川のお勧めのひとつが、山梨県大月市にある名もなきお蕎麦屋さんです。「そこは、隣の畑で採れたソバの実を挽いてつくられたお蕎麦が食べられる、特別なところなのです」。