安田 至 (やすだ いたる)
鮨 ラビス 大阪 料理長
フォーシーズンズにおける職歴
- 2024年よりフォーシーズンズホテル大阪 入社
これまでの職歴
- はし田シンガポール、シンガポール
- 八芳園―白鳳館、東京
- 八芳園―RESTAURANT ENJYU、東京
- 鮮味楽、神奈川(三浦)
- 鮨割烹 伊豆島、神奈川(三浦)
出身地
- 神奈川県横須賀市
語学
- 日本語
安田の卓越した技術で、長い時を経て受け継がれてきた伝統の鮨が握られ、一枚板のカウンターで提供される - 日々新鮮な食材を選ぶことから、正確な包丁さばきまで、約30年に渡る和食の職人としての安田の経験に裏打ちされた料理の腕は、細部にまでこだわった極上のおまかせコースで花開きます。
目の前に海が広がる横須賀で生まれ、釣りや寿司を作る地元の伝統が当たり前に存在する環境で育った安田は、父親が割烹料理人であったことから、釣った魚は手作りの料理へと見事に生まれ変わり、幼い頃から新鮮な食材への敬意を育んできました。
父親と、当時の人気だった料理番組に影響を受け、料理人の道へ進むことを決めた安田は、調理師学校を卒業したのち、見習いとして和食の基礎を調理の現場で体得し、その腕を磨いていきました。
「特定の技術を何年も磨き続けると、修練により筋肉が動きを覚えこむように身体に染み込み、心技体が一体となる。鮨一貫をにぎるとき、30年積み重ねてきた私の技の全てがそこに注ぎ込まれる」と安田は言います。
名の知れた八芳園で、優れた鮨や和食の師匠たちの下で修行したのち、三浦の鮪問屋が経営する鮨店で更に経験を積みます。「ここで、部位ごとの最良の切り方、色と質の相関性、提供する際の最適な温度など、鮪の一から十までを学びました」と述べます。そして、この経験は、鮨割烹の「伊豆島」で包丁を握る際に大いに生かされました。
2005年、八芳園から再び声がかかり、高級鮨の世界に戻ります。鮨職人としての地位を築き、やがて八芳園内の「RESTAURANT ENJYU」の料理長に就任します。その後、同八芳園内の宴会場「白鳳館」の副料理長に就きました。2021年には、海外に渡り、「はし田シンガポール」にて、日本の鮨の魅力を地元のお客様に広めます。
「鮨 ラビス 大阪」では、安田は料理長としてチームを率い、江戸前鮨を中心に据えたおまかせコースを提供します。独自の「ひねり」を利かせる江戸前鮨は、食材の本来の風味を引き立てる軽い下処理や調味料の一振りなどが特徴です。すべてはその日に調達された食材によって変わるため、おまかせコースは、毎回予測不能で一期一会と言えます。
「鮨 ラビス 大阪」を舞台として、料理界稀代の巨匠ヤニック・アレノのモダンフレンチの繊細な感性と、安田の伝統的な江戸前鮨および和食の職人としての腕前が出会い、結実します。世界で最も称賛されるフランス料理と和食の2つの料理文化が出会い、絡み合い、思いがけない形で相互作用する、感覚を刺激するガストロノミーへの旅が、ここで繰り広げられることでしょう。
カウンターの向こうで食事を楽しむお客様の信頼を、安田は敬意を持って受け止めます。揺るぎない技を支える信念はシンプルなものです:妥協なし、言い訳なし、最高のものだけ。職人気質の情熱で作られた料理は、食する者に喜びをもたらし、また来たいという気持ちにします。
「お客様が幸せな気持ちになり、食事の最後に感謝の言葉を述べてくださることは、もちろん嬉しいですが、私にとって最高の言葉は、“また来ます”です。それは本当に特別な時間をお過ごしいただけたことを意味するからです」と語ります。
料理の世界に没頭していない休日には、美術館やアートギャラリーを好んで訪れます。アーティストの背後にある意図、つまりなぜこの色、なぜこの筆遣い、なぜこの光の遊びなのか、という創造的選択に思いを巡らせることが安田を魅了します。また、彼は多才な職人でもあり、家具をカスタマイズして自らの手で作るのも趣味です。